日本のロックやポップと言うなら一言も英語を使っちゃあダメだと思うな。
これは80年代からよくあることで、そんなだから邦楽なんて(あまり)聴いたことがない。
80年代は歌謡曲と言われたアイドルのものからバンドまで歌詞の半分は英語だった。
あるかどうか知らないけど「おまえにI LOVE YOU」とかすでにダブった主語英語とか、ちょっと恥ずかしい。
あと何か雰囲気が恰好良さそうなフレーズというか単語を並べただけとか。
ミッドナイトとかシティライトとかハイウエイとかこんなのを適当に
「シティライトがシャイニング、ミッドナイトのハイウエイをおまえとドライブ」とかね。
ん~、当時からそういう風合いの歌詞、妹が邦楽の雑誌を買ってみていたのでチョロっと覗いたりしていたけどこのセンスのなさには別の意味でシビれた記憶がある。
で、まぁ、洋楽なんて知らない厨房なんかは「かっこええなぁ」とか言っていたようだがそもそも洋楽しか聴いていない私などはそんな中途半端で気の利いていない英単語の羅列で心は1mmも動かなかった。
まず、日本語の文法に英語を入れただけというダサさに天を仰ぐが、そんな意味不明な英語の羅列が半分以上を占めている歌詞が邦楽と名乗るのだから意味不明だった。
おそらく当時としてはロックは日本語より英語の方が格好いいという(それは正解なのだが)印象があるが商業的には日本語で歌わないと聴いてもらえないから日本語文法に英語をハメたのだろうと推測できる。
そんな時代も過ぎて2025年はどうか?と言えば、何と!英語の文法まで正しく入れているではありませんか。昔のように日本語文法に英語をはめるという事はなく!とは言えそういうのも中にはあるが、驚異的なのはそんなこんなで80%以上が英語が占める楽曲が邦楽と名乗っているのだから「えっ??」である。
サビは全部英語、Aメロも半分は英語、Bメロも半分は英語・・・これで邦楽ですか?
そういえばそもそも今の人は「邦楽って何?」と言われそうだが今風に言うと「J-POP」だな。それも邦楽と言うと格好悪いから「J-POP」と言う。その感覚は40年前と変わっていない。
日本人は表面的な響きを大事にするからどうしても雰囲気として恰好良さそうなものをチョイスしてくるがそんなことは印象だけの話で堂々と日本語を使えばいいじゃないかと思う訳だが。
こんだけふんだんに英語を使うというのだから作る方も意識の根底に「ロックに日本語はそぐわない」という認識があるからこそ英語を乱発している。それと作曲する時に英語を想定した音作りと日本語を想定した音作りでは音符の配置が全く違う。詳しくは書かないが、1文字に1音符を当てる日本語に対して1音符か2音符に対して単語を当てる英語とでは当然違ってくる。
これは前にどこかで書いたので詳しくは書かないけれども「何かかっけ~曲」と言って作り始めても作り手が英語を想定した音符配置で作るとそこに日本語をハメるのは困難を極める。だけど出来たものは仕方がないのでどうしようかとなった場合、歌詞の80%以上が英語という曲が出来上がる。一層のとこそういうのはもう全部英語で作って洋楽として発表した方がいいのではないか?とも思う。
さて全部日本語で歌わないと邦楽(J-POP)ではない!となってしまうと何が起こるのかと言うと昭和歌謡や演歌の世界に出てくる日本語を使わないといけなくなるという事。昭和と言っても一桁とかですからね。「イケてる女の人」(今流の言い方が分からない)=麗しの女(ひと)とか。
「キスしよ」=「接吻を所望」とか!
「許されない恋なら一緒に死にたい」=「あなたと心中」とか!
「片思い」=恋煩い!
(左側は英語のいろいろな似たような意味が入ると思って下さい。)
さぁ!段々昭和一桁の匂いがしてきましたねぇ。
でも問題なのはこれをダサいと思っているからダメなんだと思う。ガイジンが聴いたら
「何て素敵なのかしら!」と思うかもよ。
でないと邦楽(J-POP)じゃないよね。というかそもそもそういう言葉でも格好良く歌詞を書き、それに合うイケてる音楽を書くのが作曲だと思うので邦楽(J-POP)で音楽作る場合はそういうチャレンジは欲しいところ。「越えなければならない壁が高いほど燃える!」わけですから是非チャレンジしてほしいところです。そしたら日本語100%で堂々と邦楽(J-POP)と名乗れる。
100%現代語日本語なら良いとしても
殆ど英語の邦楽(J-POP)なんて安易な方に逃げるのはちょっとズルい気がする。