少し前に音楽の絡みでオタクを語ったがとある記事でオタクと言う文字を目にしたのでもう一度
フォーカスしてみる。私はもう55歳になるが中学で面白い地上波アニメのために運動部を辞めて
帰宅部になった類だ。その後、外が夏は暑く冬は寒いのがイヤで当時、唯一エアコンがあった理科室を
拠点に活動していた科学部に入った経歴を持つ。
高校では漫画部がなくそれに類する同好会に入っていてそこはまさにオタクの巣窟だった。
そして中学の頃から漫画家になりたいと思っていたし、今でも音楽とは別に創作じみたこともやっている。
こういう経歴ならまさに「オタク」認定だろう。
そして私の時代の学校生活ではこういう事情が知れればすぐにオタク扱いされたし、舐められる存在だった。
今でこそそうでもないかも知れないが私の子供時代はケンカが強い=格好いいとか畏敬の念で見られる、尊敬される
時代だった。そして運動が出来るやつらは基本的にケンカ早かったし、文化部に比べても強かった。
つまり私のような文化部的な奴らが彼らのカモ、下に見られる存在なので、ことある事に虐げられてきた。
そして反論しようものなら表に出ろみたいな空気を醸し出す。女子は女子でケンカが強い方が格好いいとか
オタクはキモいという目でしか見ていないから自然と見えない壁が出来て来る。
そうすると内向的になりやすく似たような傾向の人々が集まりやすくなる。
男子では容姿がダメ、頭も悪い、清々しさがないなど女子ウケしない、外向きでない人々。
一方女子でも同じように容姿がダメ、流行りの話に乗れないような人々はやはり内向的になりやすかった。
※必ずしも絶対ではなく私の周囲ではそうだったという話だ。
漫画やアニメに興味がある人はそう言うサークルで盛り上がれる。現実世界で虐げられている部分、そこでは
自分の居場所はある。前の記事で「傷の舐め合い」と書いたのはそういう趣旨で書いている。
しかし、私は違和感があった。自分もそういう意味では「普通の人」からはオタク扱いだったが自分では一線を敷いていた
ところがある。細かい話をするとアレだけど私は創作屋であって二次制作屋ではない。今でこそ音楽のためにミクを二次制作に
使うけどそれでもコミケで販売とかそういうのではない。
他人の作品のヨタ話で盛り上がる、コスプレ、台詞マネ、模写。これらは自分の創作ではなく他人の創作に乗っかているだけ。
今はどういう位置づけなのか知らないけど当時はこういうことを中心にしている人の方が多かったが今の方がもっと多い。
そしてコミケも40年前は創作屋もいたがブースの面積は二次制作の1/50ほどだったと記憶している。そんな私も35年前に2度ほど
コミケには行ったが私の興味の中心は創作屋との交流だったが、長蛇の列の99.999999999999999999999%は二次制作の購入だった。
私はそんなのには一切興味が無かったのでプライオリティレーンのように入れて欲しかったが当時はそういうのもなかった。
それ以来、コミケには行っていない。創作屋との交流はネットの時代になるとわざわざ行く必要がなくなったというのもある。
話を戻すとそういう意味ではオタクの定義は
「学校生活で頭も良く、運動神経抜群で、容姿も良く、ケンカも強い人から虐げられた人々」と言うことが出来る。
今では家庭に問題を抱えている人々もそこに入って来るのかも知れない。
昔は前者の方が圧倒的だった。
だから普通の会話をするにしても運動が出来るケンカが強い人々は始めからケンカ腰か上からものを見る態度で接してくる。
高圧的でないにしてもハナから舐めた認識で見ている。
私からすると運動が出来ると言っても大してデキるわけでもないのに(総体やインターハイで優勝するとか)ちょっと運動が出来るからと
調子に乗っている連中としか見ていない。それで態度がデカいのは軽蔑の対象だったが。そもそも話が通じる相手ではないので
そう言う議論にはならない。言い出そうものなら満座の前でボコボコにされて終わり。今のように問題視されることも無く
「ケンカは止めような」で終わりだ。家に報告もされないし、自分も家でヤラれたことは言わない。
そういうのは普通だと思っていたしデキない人は奴隷になるしかないと思っていたから。
だから今はどうか知らないけどそういう「虐げられた人々が集まって内向的に漫画やアニメで盛り上がるのがオタク」という認識だ。
括りで言うと私もその部類だが自分で創作するというスタンスは持っていたので括りは同じでも違うと思っている部類。
今でこそコスプレも普通になってきたがそれでもやはり普通の人から見ると変わった人々と言う認識は変わらない。
もし彼氏彼女がそういう傾向だったら反対されるに違いない。差別は無くなりつつあるもののそもそもは社会の中で居場所がない人々が
少なくとも非現実世界では自分の居場所で生きていけるということだろう。
つまりそういう人が多くなればなるほど社会は歪んでいるし、弱者の救済が形だけのものであるとも言えるのだ。
だけどこれだけは言っておきたいが、だからといって傷の舐め合いで終ってはいけない。社会がダメなのだとしたらそこでどうやって
前を向いて生きて行くのかを考えないといけない。AI彼氏、彼女などはそういう典型的な例だ。現実世界では理想の相手がいないから
画面の中の世界で満足しているのは何かを解決しているのではなくただ逃げ場にこもっているだけ。オタクとはそう言うものだとも思うが
それでは何も解決しない。ミクを愛しても現実は変わらない。それは自分が住んでいる現実社会を(イヤなものかもしれないが)疲弊させる
一撃になってしまっている。それは最終的には自分がこもっている世界の土台を壊すことに他ならない。
だからそこで何をどう見て、どう感じて、それを解決策としてどう見出すかが大事なのだろうと思う。
ここでは音楽の話を書いているからそれに紐づけるとするとミクが仮想空間の癒しで終ってしまってはいけないということだ。
世界的な広がりを見せるこの現象をどう捉え、世界的に何が社会に起こっているのか?ミクを愛する世界の人々が何をどう思って、感じて行動に
つなげているのかを見ないといけない。そこには共通する何かがあって新しい社会の構築のヒントもあるはずだから。
ボーカロイドの登場で音楽制作の垣根は完全に取り除かれたがそこに裾野を広げる動きがあるか?無いと思う。
新しい表現方法を手に入れたのにそれをどううまく利用しているのか?あまり上手く利用されているとは思えない。
どこに原因があってどうすべきなのか?そういうのを考え行動するのが大事だと思う。傷の舐め合いで終ってしまっていては
未来は変わらない。オタクとして虐げられたからこそ出来ることもあると思っている。あなたはどう行動しますか?